「ミラノの女の人は素敵ね。細身のパンツに渋いツイードのジャケットで大股に歩いて。装飾的な服じゃないのに女らしいのね。私、ハッとしたのよ。本当に着たかった服はこれだったんじゃないかって」「でも彼女たちと同じパンツと紐靴を買ってみても、これが借り物を着ているみたいに似合わないわけよ。ぜんぜん素敵に見えないのよね」これは、私自身の体験でもあった。ミラノに来たばかりの頃、憧れて買ったシンプルなパンツやジャケットは、どうしてもしっくり馴じまなかった。それは顔立ちや体形がイタリア人と違うからという理由だけではないと私はいつか思い至った。女としての生き方の方向が違うのだ。美しさも賢さも、どこか曖昧なものがよしとされる日本の女らしさの評価を社会にゆだねてきた日本人には、装飾のないミラノのマニッシュはストイックすぎるのだ。「コビ度がね」突然彼女が言った。「なに?」「媚度よ。嫌な言葉だけど、私の服の選び方には、そういうものがあったのかもしれないわ。つまり、人に気に入られるためにこのスーツもパンプスも選んできたっていうこと。日本にいる時、気がつかなかったのは、みんながそうだったからなのね。ミラノへ来て初めてわかったような気がする。私は媚度が高かったのかしらって」