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カルチュラル・スタディーズのテレビ研究

カルチュラル・スタディーズのテレビ研究は、構造主義的な映画のテクスト分析と深く結びつきつつ、同時にこれらを批判していくことのなかで登場し、発展していったものである。例えばジョン・フィスクは、リアリズムについてのマッケーブの議論に対し、「視聴の主体の位置をめぐってテクストにほとんど全面的な権力を付与するマッケーブの方法は、視聴者の間に存在する相違を否定し、また同一の番組から彼らが構成可能なしかも現に構成しているさまざまな意味の違いを否定するものである」と批判する(フィスク、1996)。アンプもまた、スクリーン派の映画研究がカルチュラル・スタディーズのテレビ研究にとって不可欠の前提だったことを認めつつ、このアプローチではテレビ視聴者のまなざしの問題がそのままテクストの「生産性」の問題に結びつけられてしまっており、テクストと社会的な主体としてのオーディエンスの間の対話的な関係を論じる余地がなくなってしまっていることを批判する。つまり、カルチュラル・スタディーズはテクスト論的な映画研究に対し、メディアの言説構造のなかで名指されるテクスチュアルな主体と実際にそのメディアに接していく社会的なオーディエンスとの非同一的な関係を問題にしていったのである。ホールが理論的に、モーレーが実証的に先鞭をつけたのは、このテクストの自己完結的な世界に社会的な裂け目を入れること、すなわち異なる仕方で社会的に位置づけられた視聴者は異なる仕方でテクストと出会い、それを解釈していくのであり、その結果、実際のメディアの受容過程で発生するのは、テクストの構造によって決定される完結的な世界ではなく、内部にずれや矛盾、ねじれや葛藤を含んだ重層的な解釈の場であるという、はなはだ正当な認識を示していくことであった。
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